二十一回孟子

吉田松陰は「二十一回孟子」の号を吉田の文字から好んで使っていたそうです。
“吉田”をばらしたら棒だらけで二十一と似ていますよね。
大胆なことばかりしてきた人生
1830年に長州藩の下級武士の次男として生まれる。
22歳のときに東北旅行を計画したときのこと。
藩に申請した通行手形が約束の日に間に合わない状態でした。
普通なら日付を変更するべきなのに面倒だとそのまま脱藩してしまいました。
脱藩は死罪に値することです。
ペリーが浦賀に来航したとき。
外交に武力をちらかせるとは何事か、無視するべしと藩主に建白書を提出。
これも死罪に値することです。
さまざまなことをしたあと、江戸には参考人に呼ばれただけなのに老中暗殺計画があったと自分で自白して処刑されてしまいました。